NEWS&
COLUMN
ニュース・コラム
能登半島地震特集記事
~能登半島地震特集記事~ 全国につながる支援のスクラム
2025.06.24
福祉・学校全般
みなさんこんにちは。
今回は能登半島地震をご経験された特別養護老人ホームちどり園様に、震災での体験を振り返り、福祉事業所の観点からのお話をお聞かせいただきました。
特別養護老人ホームちどり園(以下、ちどり園)は能登の入口である羽咋郡宝達志水町にあり、震度5強の揺れはありましたが幸いにしてインフラの被害が少なかった為、今回の震災では被災者を受け入れる側として大きく地域に貢献されました。
発災当日から毎日が判断、実行の繰り返しで制度にない取り組みは、県市町との交渉もしながら日々何をすべきか考えながら過ごされました。
今振り返ってみても「我々が取った行動は正解だった」と熱く語られる事務長のお姿からは、実際に震災を経験され、乗り越えたという確かな自信が感じられました。
ここでは、2024年1月1日の発災当日から、福祉避難所の役目を終えられた同年9月25日までをお伝えしていきます。
また、震災がご縁となり繋がった法人様との今後の動きについても少し触れたいと思います。
2024年1月1日 発災当日
発災直後、海抜25mの高台にある施設には、津波から逃げようと住民が施設のある高台に押し寄せ、建物の外は着の身着のままの避難者でいっぱいになりました。
小さな子供連れの家族や高齢者の方もたくさんいました。
日が暮れるにつれ、疲れが出てきている様子を見ると、本来は要配慮者(災害時に支援が必要となる方)を受け入れる福祉避難所ですが、「外にいる避難者をこのまま放置することはできない。施設を開放しよう。」と瞬時に決断され、避難してきた地域住民の方、延べ4〜500名を施設の中に入れ、大津波警報が注意報に変わる翌朝まで受け入れをしました。
避難者を施設内に入れる時のポイント
施設を開放するにあたり懸念されたことは感染症でした。そこで長年の経験と知識に加え、施設の業務継続計画(BCP)を策定した経緯や普段からの感染拡大防止の対策をベースにスタッフへ指示が出されました。
感染症から入居者の生活を守るため徹底したこと
① 施設入口でのマスク着用の声かけと手指消毒の徹底
② 入居者の居住スペースと避難者の避難スペースを区分け(ゾーニング)する
③ 解放するスペースを限定する(受入れ人数に合わせて、順に部屋を開放していく)
福祉避難所の受け入れ
福祉避難所の受け入れの従来の手順は、行政の被災者管理担当や包括支援センターなどを介して行われます。
しかし、行政の担当者自らが被災者となった今回は、福祉サービスの連携が上手く機能しなかったのです。
担当者を介さず直接ちどり園に利用者家族が受け入れを打診したため、受け入れ側はどんな支援が必要な方かも全く分からない、分かることは一般の避難所では生活できない「困り事を抱えた方」ということだけでした。
まずは受け入れを優先し、「名前・病気・緊急連絡先」この3点のみ聞き取りを行いました。
この日は要配慮者の受け入れを4名行いました。
1月2日
メディアで被害の詳細がわかり、被害の大きさを目の当たりにしました。
施設の前の国道には救急車がサイレンを鳴らしながら列をなして通り、上空には救援物資の運搬や人命救助のためのヘリコプターが能登方面に向かって常に飛んでいました。
1月3日
中には被災した職員もいましたが、法人の主要メンバーがこの日に揃いました。
これから被災者が南に避難してくると予想されたため、社会福祉法人として何ができるか話し合いました。
隣の市町以北は被害が大きく、正確な情報が全くない中で、ちどり園は受け入れの最前線となると予測し、物資の調達・職員の確保・受け入れスペースの整備を始めました。
1月4日
段ボールベッドが到着しましたが、敷布団や毛布などはありませんでした。
また、法人で備蓄していた食料や飲料水は入居者と職員の分として3日分ありましたが、発災当日の地域住民の受け入れの際にも消費してしまい、状況を説明し、行政に救援物資を依頼しました。
1月6日〜8日
ショートステイの定員枠を増床し、福祉避難所としては11床確保しました。
当初は段ボールベッドしか準備できず、要介護認定1と2の比較的軽度な方のみを受け入れるトリアージを行いました。
被害が深刻だった志賀町の施設から受け入れた方の中には、1日1食しか食べる事ができていなかった利用者もいました。
〜1月17日
従来のちどり園の入居者に加え、福祉避難所の避難者の介護を行うことになり、職員は12時間2交代制というハードな勤務をこなしました。
施設職員だけで対応することは困難となり、この後は老施協・全社協などの団体を通じて、全国から応援職員が支援に入ることになりました。
3月27日
発災から3か月が経過したこの時期、応援職員のマッチングが滞り、この形での福祉避難所を継続運営していくことが困難となりました。
施設職員だけで福祉避難所運営を行なうことは難しく、苦渋の決断で3月末をもって既存の特養フロアに吸収し、規模を縮小し運営していくという選択をしました。
9月25日
インフラの復旧を待っていた奥能登の最後お一人の避難者が地元に戻られ、福祉避難所の役目が終わりました。
震災の経験からの気付き
BCPのマニュアルでは災害管理担当者やケアマネが被災したり、地域住民の避難者を受け入れる事になったりする、ということまで想定できていませんでした。
また、ここまで甚大な災害が起きることも想像できていませんでした。
能登半島地震程の災害規模になると、被災者が被災者支援を行うことも十分にありえます。
これからの災害訓練はシナリオプランニングという手法を取り入れ、必ずサブプラン(想定外)も考えておくことが大切だとちどり園では考えています。
被災者が被災者支援を行う事は十分にあり、特に福祉や介護サービスの中心を担うケアマネが被災するとネットワーク全体が機能しないという事が分かりました。
発災直後の情報のない時期に絶大な効果がある物資のプッシュ型支援は、大変重要でありますが、ニーズとマッチングしない場合があり、物資が余ったり、本当に欲しいものが届かなかったりという事が起きました。
大規模災害時の応急や復旧などをおこなう応援職員を迅速に送り込むため、自治体からの要請を待たずに国から職員を派遣できる法律の改正案が国会に提出されました。物資だけではなく、人的にもプッシュ型支援が開始されれば、今後は大変心強い仕組みになるのでは、と期待しています。
応援職員派遣事業の課題
派遣要望票を出してからは連絡を待つことしかできず、進捗状況も分からず、「誰が、いつ来るか、何人来るか、全て不明」という不安な状況が続きました。
連絡が急に入るため、10日先の応援状況は不透明なままでした。
また、複数あるマッチング窓口(全社協・老施協・DWAT)にそれぞれ要望を出すと、支援いただける日が重なったため、1日最大7名の応援職員の派遣を受け、人員が余剰する日もありました。
そうかと思えば全くマッチングが無く、施設職員だけでやり抜かないといけない時期もありました。
活動期間や応援場所などの条件が合わず致し方ない事か思いますが、今後改善されることを期待します。
国や県、市町など行政からの公的支援である縦の連携はベースとして災害時には必ず必要ですが、同じ福祉業界の法人同士の横の連携がもっと必要と感じました。
同じ業界が手を組む事で、何も伝えなくても分かり合える事が多く、支援の質が上がります。
今回は石川県以外の全国の法人からたくさんの支援を受けました。
これは大変心強いものでした。
これからは、石川県内だけではなく広域の災害に備えてもっと広く、災害時の広域応援が必要なのではないかと感じました。
災害時の広域応援協定に向けて
※左から
社会福祉法人 碧晴会 特別養護老人ホーム川口結いの家 様(愛知県)
社会福祉法人 恵寿会 老人総合福祉施設グリーンヒルみふね 様(熊本県)
社会福祉法人 亀鶴会 特別養護老人ホーム神明園 様(東京都)
社会福祉法人 渚会 特別養護老人ホームちどり園 様(石川県)
能登半島地震の支援をきっかけに、石川県のちどり園は災害に対して同じ思いを持つ東京都・熊本県・愛知県の三つの介護施設と繋がりました。
災害時には「何も頼まなくても助ける」つながりです。
知っている職員が知っている施設に応援に行く。
知っている施設から救援物資が手元に届く。
受け入れる側も派遣側も安心安全のシステムの確立を目指しています。
そして施設間の協定締結を行うにあたり、定期的に職員交流や合同研修を開催し、職員同士が顔見知りの関係性になれるような取り組みを開始しています。
有事の際の職員の心理的ハードルを下げておくということが最大の「ねらい」です。
広域協定により、実働的な支援が可能となり、国主導の施策とは別に独自ルートで、より早く支援できるようなシステムの確立を目指しています。
去る2025年6月3日、震災をきっかけに繋がった四つの施設は全国でもめずらしい「災害時広域応援協定」を結びました。
調印式は能登半島地震のあった石川県のちどり園で行われました。
遠方からお越しになられた施設長の皆様は、施設同士の距離を感じないほど和気あいあいとした雰囲気で、これまでの交流の深さが感じられました。
「ご縁を大切にしたい」とお話しされる施設長と事務長の笑顔が、いつにも増して素敵でした。
能登半島地震の体験は痛ましいことばかりでしたが、人の温かさをより感じる出来事が数多く聞かれました。
事務長がおっしゃるように、この協定の参加法人が全国に広がり、みんなでスクラムを組めば、とても心強い応援になる事は間違いありません。
また今後も活発に行われる交流では、災害以外でも強固な絆が生まれそうでとても楽しみです。
~御礼~
ちどり園様
この度は「震災の体験を皆さんに知っていただくことも、私たちの役目」と、お忙しい中、快く取材に応じてくださり、誠にありがとうございました。